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ソーシャルゲームを見る5:ソーシャルゲームがゲーマーにとって面白くない理由と批判される理由2

koakuma
前回「ソーシャルゲームを見る4:ソーシャルゲームがゲーマーにとって面白くない理由と批判される理由」でソーシャルゲームがゲーマーにとって面白くない理由を考えてみたが、今回は批判される理由について踏み込んでいきたい。
繰り返しになるが、ここでいうソーシャルゲームとは『ドリランド』に代表される射幸心を煽るタイプの集金性の強いソーシャルゲームとなる。
先の記事で書いたように批判の中には勘違いや嫉妬めいたものも少し混ざっている。
が、それ以上にソーシャルゲームは問題を抱えているように思える。

ソーシャルゲームの作りの基本は「プレイすることに依存させ、やめられなくする」という所にある。
そして、その上で「射幸心を煽り、最大限に集金する」というもの。
この仕組みの基本はパチンコと同じで、そこに「他のプレイヤーとからむことでやめられなくなる」「他のプレイヤーと比較することで自尊心が満たされる」という効果を考えると、それ以上にヤバい。

しかも、携帯からいつでも誰でもアクセスできてしまう点ではパチンコをはるかに上回る危険な物体である。
パチンコ中毒者に、いつでもどこでもプレイできるパチンコを渡したらどうなってしまうか想像してみるといい。
何かしら、規制があってしかるべきと思う。

さらに、その収益形態もいかがなものかと思う。
ソーシャルゲームは全体の10%が課金し、その中でも1%がほとんどの稼ぎを担うと言われる。
その1%は生活に余裕のある一部の金持ちならいいのだが、ほとんどの場合は生活に対して分不相応な課金をしていると予想される。

正常な判断が出来れば課金しないか適度に課金するぐらいだろう。
だが、大人だからといって必ず自制心があるとは限らないし、そもそもこのゲームは煽って自制心を飛ばして課金させるところに力を注いでいる。
「基本無料」というのは過剰な資金を注ぎこんでしまうプレイヤーを探す餌であり、「無料だから課金せずとも楽しめる」というのは建前でしかない。

以前から基本無料のPCのオンラインゲームはこの方式で利益をあげていた。
PCというマニアックな市場だからこそ目をつぶれてきた部分もあるかもしれないが、こちらも含めて見直す時がきているのだろう。

また、既存のゲームに対して悪影響を与えそうな点も見逃せない。
長年、ゲーム業界は批判にさらされながら社会の中で認められるために努力していた。
表現にも気を使い、レーティング機関「CERO」を発足させてゲームの自主規制に努めている。
時に『GTA III』の自主規制のようにゲーマーの批判にさらされることもあるが、自主規制することでゲーム業界を守るために努力しているのだ。

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対してソーシャルゲームは残念ながらそう言った努力に関しては全く足りていない。
例えば、人気作『キャバ嬢ライフ』。
内容も表現もストレートに水商売で、ゲーム内では客にプレゼントをねだってはそのまま売って自分の小遣いにすることが肯定されている。
自分が親であれば絶対に子供には触れさせたくないが、誰でもプレイできてしまう。

ゆるい。
あまりにも緩すぎる。

これが槍玉にあがれば「ゲーム」というくくりで批判される。
世論が許せば法律で具体的な規制が入ってしまうかもしれず、そうなるともうそれに触れるゲームは一切作れなくなってしまう可能性もある。

私としては、一部のメーカーはソーシャルバブルで荒稼ぎし、次の事業に投資するためのチャンスとして利用しているだけに見える。
そういったメーカーは荒稼ぎしたら次の事業に旅立つが、規制が入った後に泣きをみるのは残る「ゲーム」全体である。
これもまたゲーム好きとしては受け入れがたい。

このように現在のソーシャルゲームは「パチンコのような射幸心を煽る性格を持ち、ユーザーの分不相応なほどの課金を期待して運営されている」、「ゲームを文化として考えたとき、それを発展させようとする一員として振る舞っていない」という2点で批判されてしかるべきだと思う。

ということで、2回に分けてゲーマーにとって面白くない理由と批判される理由を考えてみた。
ではどうすればいいのか、そしてどうなってほしいのか。
長くなったが次はそれを考えてみたい。

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