ソーシャルゲームを見る1:ソーシャルゲームはゲームの仲間入りをするか
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- 2011年10月18日
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ソーシャルゲームとは文字通り、社会的なつながりを利用するゲームのことだろう。
では、ネットワークを介したランキング機能、メッセージを残す機能などがあればソーシャルゲームなのだろうか。
私の中では、「ネットワークを介することでより面白くなるゲーム」がソーシャルゲームだと思っている。
例えば、『どうぶつの森』や『うろおぼ絵17』などが代表的なもので、これらは元のゲーム自体が面白い上に、ソーシャル機能を使うことでより楽しめる。
うろおぼ絵17はゲームとなるかは異論があるかもしれないが、変な絵が出てくることを楽しむパーティーゲームとして私は捉えている。
だが、日本にソーシャルゲームが出てきてかなりたち、Gree や Mobage
、『怪物クロニクル』で知られる ADWAYS など、多くのメーカーが派手に儲けているという記事を目にするものの、日本のゲームはどうにも儲け重視で
「ゲーム」であることを軽視している気がする。では、ネットワークを介したランキング機能、メッセージを残す機能などがあればソーシャルゲームなのだろうか。
私の中では、「ネットワークを介することでより面白くなるゲーム」がソーシャルゲームだと思っている。
例えば、『どうぶつの森』や『うろおぼ絵17』などが代表的なもので、これらは元のゲーム自体が面白い上に、ソーシャル機能を使うことでより楽しめる。
うろおぼ絵17はゲームとなるかは異論があるかもしれないが、変な絵が出てくることを楽しむパーティーゲームとして私は捉えている。
現在主流のソーシャルゲームの基本は、基本無料でプレイさせ、初期にどんどん楽しい成功体験(建物を立てたりするたびにクエストが完了して報酬がもらえるチュートリアルなど)をどんどんさせ、「ここでやめるのは勿体無いかも…」という執着心を植えつけて続けさせるものだ。
この執着心は時間と共に薄れるため、ゲームデザインは毎日プレイすることにご褒美を与え、長期的にプレイするものとなる。
ここまでは良いとしても、この執着心をたくみに操ってプレイヤー同士をえげつなく争わせるものが非常に多い。
プレイヤー同士を殴りあわせ、負けたほうには「今、ぼろい剣で殴られて負けましたけど、◯◯円で普通の剣が買えますよ、そうすれば勝てますよ」と暗にメッセージを流す(直接的なものもある)。
そこで負けたプレイヤーが課金して逆襲すると、先に攻撃して逆襲されたプレイヤーには「◯◯円ですごい剣買えます」と流すわけだ。
瞬間的な「敵に殴られた」という負の感情に浸け込み、品物を売っていく。
戦争をコントロールする死の商人もかくやというえげつなさだ。
多くの人はこのゲームを暇つぶしとしか捉えておらず、課金者だけがヒートアップしていると思うが、こんなゲームで人が幸せに楽しめるだろうか。
私の周囲には重課金者がいたが、それで「終わってみたら幸せだった」という人は皆無だ。
金を払って不幸になるなど意味が分からない。
このタイプのゲームは「ソーシャル集金装置」とでも言うべきで、ソーシャルで人を楽しませるためのゲームという側面は持ってらず、ソーシャルを集金機能としてしか使っていない。
「予算の中で最大限面白くする」
が従来のゲームで
「とりあえず作って、可能なかぎり課金させる」
という所にフォーカスしている。
「ゲームを好きじゃないほうが良いソーシャルゲームを作れる」
という言葉があるがそれも納得で、良心的なゲームデザイナーは最も面白くなるところをちゃんと楽しませようと考えるが、ソーシャルゲームはそこに課金を持ってくることが多い。
「ソーシャルゲームはゲームの1軍」と既存のゲームと比べて発言するようなゲーム開発者がいた気がするが、そんな開発者はゲームをなぜ作るか見失った、カネに目が眩んだ抜け殻であろう。
私の知り合いの間で聞く限りは「金になるからつくるけども、こういうモノが作りたいわけじゃない」という話しか聞かない。
私自身は結構ソーシャルゲームを暇つぶしとして活用していたが、最近では facebook 系のソーシャルゲームをメインに遊んでいるが、こちらは日本と比べかなりゲーム寄りの作りになっており、バリエーションも豊富だ。
Bejeweled などの定番ゲームも、ランキングがヒートアップするような仕組みをきっちり作っており、普通に1人でやるよりもハマれるし、D&DをモチーフにしたRPGや、アドベンチャーゲームなどもある。
こっちにあるものは間違いなくソーシャル「ゲーム」に近いと言える。
ただ、今までの日本のソーシャルは「ソーシャルバブル」に群がる山師が群がって金を作っている側面もあった。
が、規模は大きくなり、TGS2011 では Gree が最大規模のブースを出すほど社会的認知も広がっている。
そろそろ、黎明期は脱して社会の一員としていろいろな自浄努力が働く頃と信じたいし、また、ゲーム大手の参入がソーシャルの「ゲーム」という箇所もちゃんと意識したものが出てくると思う。
それができないのなら、すでに今までのゲームと違う概念のものなのだから「ソーシャル無限課金型暇つぶし」とでも名前を変えておくがいい。
コメント一覧 (9)
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- 2011年10月20日 07:23
- ソーシャルゲームの台頭を抜きにしても、従来のゲームが今のままじゃ時代の流れで廃れるのも確かだし。
ソーシャルゲームが今の時代にマッチして勢力を伸ばしてるのも確かなので、やはり何かしら学ぶべき所はあると思いますよ。
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- 2011年10月23日 01:06
- ▼ESさん
ゲーマーの怒りを買うと言うよりも、この商売のえげつなさと言うか。
「売れたら同じ物を作る」とかは、面白いゲームを作る姿勢ではなくて商売のやり方ですよね。そういう志はダメかと思います。
また、競争の公平さはもうありえない体系なので仕方ないとしても、その中で負の感情を煽る仕組みというのは良くないんじゃないかと。。
特にギャンブルと言うか、ガチャガチャは未成年がやるゲームとして適当と思えないですかね。
人の手を介さない、というのはいい線付いているかもしれません。
コメントありがとうございます。
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- 2011年10月23日 05:30
- 子供の場合は確かに規制するべきだけど、大人の場合は自業自得だからなあ、、、。詐欺じゃなくて100%任意で課金してるわけだし、いい歳して乗せられる方がアホと言うか、、。
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- 2011年10月24日 00:34
- ▼?さん
そういう事ですね。
全年齢に向けて、そのような商売をしているのが一番の問題だと思っています。
まあ、あとはゲームじゃなくて集金装置を作る気ならゲームと名乗るな、と。
それが私の感想です。
コメントありがとうございます。
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- 2012年10月19日 18:46
- 「ゲームらしいゲーム」とやらを創っているはずの大手ゲーム会社が、軒並み「ソーシャル集金装置」で食いつないでる現実はどのように考えていらっしゃいますか?
ゲームを名乗ってしかるべきものが、ゲームを名乗るべきではないものに養われてしまっているわけですよね。
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- 2012年10月19日 19:04
- 結論だけいうと誤解される気がしますが、この記事を書いてから様々なことを調べ、今はゲームらしいゲームというのは幻想だと思っています。
麻雀はゲームですが、ギャンブルにすることで面白さが格段に上がります。
それに近いのがソーシャルだと思っていて、ギャンブルがゲームでないならソーシャル(カード)もゲームではないかと。
ポーカーだって金が多いほうが強いですからね。
ソーシャルの持っている面白さというのはネットゲームや、賭博的な面白さ(ベットはお金と時間)なので、そこがダメな人は絶対にだめ。
ジャンル違いのゲームだと認識しています。
ただし、問題があるので、ゲームになっているからといってその課金方式をOKとするかはまた別ですが。
従来型のゲームは商売のルールの変更にともなって成り立ちづらくなっているので、変質を余儀なくされるでしょうね。
変質が終わった頃にはゲームらしいゲームというのはその次代のゲームになっているでしょう。
ということで、質問の前提が成り立たなくなってしまっているというのが私の考えです。
また、メーカーもソーシャルに食わしてもらっているというよりも、家庭用が売れないところは売上の立つものを除いて切られつつあるので、食わせてもらっているという表現はまた違う気がします。
もちろん、養われている状態になっているものもあればそうでないものもあると思いますが。
ソーシャルに手を出して失敗しているところもあるわけですし、一概には言えないと思いますね。
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- 2012年10月19日 19:37
- まさか返答もらえるとは思ってませんでした。
個人的に従来のゲームが好きではいるものの、ゲーム市場の変遷とともに自分が嘗て哀れんでいた「老害」になりつつあるのかもしれないと思っています。
自分がもう少し若かった頃は、上の世代から「ゲームなんてまともな趣味じゃない」と小言を言われ「老害にはわからねぇよw」と内心バカにしていたのですが、今自分が抱いている感情にふと気づいた時に愕然とします。
あの小言の裏に隠された気持ちがわかってしまう程自分が歳を取ってしまった事実がまた悲しいです
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- 2012年10月19日 19:58
- 私も同じような気持ちを抱きつつも、日々悩みながらブログを書いていたりします。
難しいですね、この問題は。
結局、昔の意味でゲーマーというのは少数派になってしまったと感じています。
そういう瞬間に、こういう類のソフトでは「これを買えば勝てる!」と即座に来るわけで、本当にうまい商売をしてくれます(別名:えげつない)。
負けっぱなしな時は、自分なりに工夫したり、他人から情報を得たりして攻略法を探るのが、我々の考える「ゲーム」なわけですから、安易に金に頼らせる類のソフトにアレルギーを抱くのもむべなるかな。
ただ、こういう商売モデルは「怪盗ロワイヤル」など、人の手が介入する部分が少ない作品だからこそ、辛うじて受け入れられている気がします。
「ネット対戦麻雀でイカサマアイテムが買える」と考えると、いかにこの商売モデルが「ゲーム」と言う視点では滑稽に映るか、そして、いかに「ゲーマー」にとって怒りを買う要素であるかがよく分かります。