ソーシャルゲームとは文字通り、社会的なつながりを利用するゲームのことだろう。
では、ネットワークを介したランキング機能、メッセージを残す機能などがあればソーシャルゲームなのだろうか。
私の中では、「ネットワークを介することでより面白くなるゲーム」がソーシャルゲームだと思っている。
例えば、『どうぶつの森』や『うろおぼ絵17』などが代表的なもので、これらは元のゲーム自体が面白い上に、ソーシャル機能を使うことでより楽しめる。
うろおぼ絵17はゲームとなるかは異論があるかもしれないが、変な絵が出てくることを楽しむパーティーゲームとして私は捉えている。
だが、日本にソーシャルゲームが出てきてかなりたち、Gree や Mobage
、『怪物クロニクル』で知られる ADWAYS など、多くのメーカーが派手に儲けているという記事を目にするものの、日本のゲームはどうにも儲け重視で
「ゲーム」であることを軽視している気がする。
現在主流のソーシャルゲームの基本は、基本無料でプレイさせ、初期にどんどん楽しい成功体験(建物を立てたりするたびにクエストが完了して報酬がもらえるチュートリアルなど)をどんどんさせ、「ここでやめるのは勿体無いかも…」という執着心を植えつけて続けさせるものだ。
この執着心は時間と共に薄れるため、ゲームデザインは毎日プレイすることにご褒美を与え、長期的にプレイするものとなる。
ここまでは良いとしても、この執着心をたくみに操ってプレイヤー同士をえげつなく争わせるものが非常に多い。
プレイヤー同士を殴りあわせ、負けたほうには「今、ぼろい剣で殴られて負けましたけど、◯◯円で普通の剣が買えますよ、そうすれば勝てますよ」と暗にメッセージを流す(直接的なものもある)。
そこで負けたプレイヤーが課金して逆襲すると、先に攻撃して逆襲されたプレイヤーには「◯◯円ですごい剣買えます」と流すわけだ。
瞬間的な「敵に殴られた」という負の感情に浸け込み、品物を売っていく。
戦争をコントロールする死の商人もかくやというえげつなさだ。
多くの人はこのゲームを暇つぶしとしか捉えておらず、課金者だけがヒートアップしていると思うが、こんなゲームで人が幸せに楽しめるだろうか。
私の周囲には重課金者がいたが、それで「終わってみたら幸せだった」という人は皆無だ。
金を払って不幸になるなど意味が分からない。
このタイプのゲームは「ソーシャル集金装置」とでも言うべきで、ソーシャルで人を楽しませるためのゲームという側面は持ってらず、ソーシャルを集金機能としてしか使っていない。
「予算の中で最大限面白くする」
が従来のゲームで
「とりあえず作って、可能なかぎり課金させる」
という所にフォーカスしている。
「ゲームを好きじゃないほうが良いソーシャルゲームを作れる」
という言葉があるがそれも納得で、良心的なゲームデザイナーは最も面白くなるところをちゃんと楽しませようと考えるが、ソーシャルゲームはそこに課金を持ってくることが多い。
「ソーシャルゲームはゲームの1軍」と既存のゲームと比べて発言するようなゲーム開発者がいた気がするが、そんな開発者はゲームをなぜ作るか見失った、カネに目が眩んだ抜け殻であろう。
私の知り合いの間で聞く限りは「金になるからつくるけども、こういうモノが作りたいわけじゃない」という話しか聞かない。
私自身は結構ソーシャルゲームを暇つぶしとして活用していたが、最近では facebook 系のソーシャルゲームをメインに遊んでいるが、こちらは日本と比べかなりゲーム寄りの作りになっており、バリエーションも豊富だ。
Bejeweled などの定番ゲームも、ランキングがヒートアップするような仕組みをきっちり作っており、普通に1人でやるよりもハマれるし、D&DをモチーフにしたRPGや、アドベンチャーゲームなどもある。
こっちにあるものは間違いなくソーシャル「ゲーム」に近いと言える。
ただ、今までの日本のソーシャルは「ソーシャルバブル」に群がる山師が群がって金を作っている側面もあった。
が、規模は大きくなり、TGS2011 では Gree が最大規模のブースを出すほど社会的認知も広がっている。
そろそろ、黎明期は脱して社会の一員としていろいろな自浄努力が働く頃と信じたいし、また、ゲーム大手の参入がソーシャルの「ゲーム」という箇所もちゃんと意識したものが出てくると思う。
それができないのなら、すでに今までのゲームと違う概念のものなのだから「ソーシャル無限課金型暇つぶし」とでも名前を変えておくがいい。