ソーシャルゲームを見る4:ソーシャルゲームがゲーマーにとって面白くない理由と批判される理由1
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- 2012年01月01日
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ソーシャルゲームとはなんなのかと言われると難しいが、今回は『ドリランド』『ドラゴンコレクション』に代表されるような基本無料の日本で流行っているタイプを指すこととする。
基本無料で、課金によってストレスを取り除き、ガチャガチャ(ランダムにアイテムなどを入手できる)で強くなることのできるものだ。
ソーシャルゲームのポイントは、「最小限の労力で」「すごい成果を得る」というところ。
ボタンを押せば結果が出て敵を倒したりアイテムが出現する。
とりあえず、やると「なんだか勝っているぞ!嬉しいことが起きている!」という感覚を与えて褒めてくれる。

対して旧来のゲーマーはプロセスに重きを置く。
すごい弾幕をかわして「だから俺は凄いんだ!」と悦に浸る快感。
自分の能力や努力を褒めて欲しい。
ゲーマーにはこのプロセスが非常に大事なのだ。
だからゲーム内容という意味では、『Kingdom Conquest』のように攻略が重要となるタイプのゲームは批判にさらされない。
対して、ソーシャルゲームはいわば褒める装置。
金を払っただけ褒めてくれる、キャバクラのようなシステムである。
ゲームを開始して数日はとにかくどんどんゲームが進む。
レベルアップに新しいミッションに…とにかく褒めまくる。
徐々に褒められなくなり、長く続けているプレイヤーの中でひときわ褒められるには課金が要求される。
かわりにドンペリ…ではないが、課金をすると課金しただけ凄い褒めちぎり大金を吐き出させる。
ゲーマーは実力でゲームを進めることで褒めて欲しいのに、努力して強くしてもより金を使ったプレイヤーに潰される。
全く過程を褒めてくれないどころか、プロセスの所々で「エナジーが無いのでお金出すか時間で回復するまで待ってください」と言われてストレスが貯まる。
「最初から金を払って無制限に努力させてくれよ!」
というのが、ゲーマーの本心だろう。
とにかくストレスが溜まっていいところがない、退化したゲームっぽいものにしか見えないのだ。
それをゲームと言いはれば「いや、クソゲーだろう」となるのがゲーマーの心理。
ゲーマーが好むゲームほど儲からないでリリースが少なくなりつつある中で、ソーシャルは儲かりまくって山ほど出ているようにも見える。
低いレベルの話をすれば、羨ましいと思っているゲーマーもいるだろう。
ということで、今までのゲームと全く違うし、面白いと思う層も異なるので昔ながらのゲーマーが「ソーシャルはゲームじゃない」と思うのはある意味自然である。
そして批判の一部にはやっかみもある。
が、それで終わらない問題をソーシャルゲームは抱えている。
それについては続き「ソーシャルゲームを見る5:ソーシャルゲームがゲーマーにとって面白くない理由と批判される理由2」で語ろう。
関連記事:
ソーシャルゲームを見る1:ソーシャルゲームはゲームの仲間入りをするか
ソーシャルゲームを見る2:ソーシャルゲームは社会の一員になるか
ソーシャルゲームを見る3:GREEやモバゲーの宣伝力はファミ通・TVに勝るのか
基本無料で、課金によってストレスを取り除き、ガチャガチャ(ランダムにアイテムなどを入手できる)で強くなることのできるものだ。
ソーシャルゲームのポイントは、「最小限の労力で」「すごい成果を得る」というところ。
ボタンを押せば結果が出て敵を倒したりアイテムが出現する。
とりあえず、やると「なんだか勝っているぞ!嬉しいことが起きている!」という感覚を与えて褒めてくれる。

対して旧来のゲーマーはプロセスに重きを置く。
すごい弾幕をかわして「だから俺は凄いんだ!」と悦に浸る快感。
自分の能力や努力を褒めて欲しい。
ゲーマーにはこのプロセスが非常に大事なのだ。
だからゲーム内容という意味では、『Kingdom Conquest』のように攻略が重要となるタイプのゲームは批判にさらされない。
対して、ソーシャルゲームはいわば褒める装置。
金を払っただけ褒めてくれる、キャバクラのようなシステムである。
ゲームを開始して数日はとにかくどんどんゲームが進む。
レベルアップに新しいミッションに…とにかく褒めまくる。
徐々に褒められなくなり、長く続けているプレイヤーの中でひときわ褒められるには課金が要求される。
かわりにドンペリ…ではないが、課金をすると課金しただけ凄い褒めちぎり大金を吐き出させる。
ゲーマーは実力でゲームを進めることで褒めて欲しいのに、努力して強くしてもより金を使ったプレイヤーに潰される。
全く過程を褒めてくれないどころか、プロセスの所々で「エナジーが無いのでお金出すか時間で回復するまで待ってください」と言われてストレスが貯まる。
「最初から金を払って無制限に努力させてくれよ!」
というのが、ゲーマーの本心だろう。
とにかくストレスが溜まっていいところがない、退化したゲームっぽいものにしか見えないのだ。
それをゲームと言いはれば「いや、クソゲーだろう」となるのがゲーマーの心理。
ゲーマーが好むゲームほど儲からないでリリースが少なくなりつつある中で、ソーシャルは儲かりまくって山ほど出ているようにも見える。
低いレベルの話をすれば、羨ましいと思っているゲーマーもいるだろう。
ということで、今までのゲームと全く違うし、面白いと思う層も異なるので昔ながらのゲーマーが「ソーシャルはゲームじゃない」と思うのはある意味自然である。
そして批判の一部にはやっかみもある。
が、それで終わらない問題をソーシャルゲームは抱えている。
それについては続き「ソーシャルゲームを見る5:ソーシャルゲームがゲーマーにとって面白くない理由と批判される理由2」で語ろう。
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コメント一覧 (3)
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- 2012年01月04日 16:44
- ▼?さん
コアゲーマーにとってゲームとしての文脈が違うので納得できないですが「褒めて」という根幹は全く一緒ですから、ゲームかといわれればそうも言えると思います。
課金や内容の問題ですね、やっぱり。
コメントありがとうございます。
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- 2013年09月30日 11:52
- 「スマホでゲームやるのが普通」「パズドラやドリランドやった事ない奴の方が珍しい」といった意見が大多数を占めていて、ウザいというよりその統一感にゾッとしていたので、あなたのブログを読んでとても安心しました。
私もやはりソーシャルゲーによくある「スロットで全てが決まる」「ボタンを押すだけで結果が出る」システムの何が面白いのか皆目理解できません。プレイヤーの画一化と思考停止を促進させるこの類のゲームには嫌悪感を覚えます。
「技術を褒められたい」という主張には、はっとさせられました。的確に表現なさっていると思います。自分の能力が足らなくて負けるなら納得できますが、コンピュータによる乱数計算で負けたと思うと何とも怒りのぶつけようがありませんね。もしかしたら私はもう古い人間なのかもしれません。20代に入ったばかりですが。
シューティングやマリオ等の反射神経を磨いた人だけがクリアできるアクションゲーム→
RPGなどの時間をかければ誰でもクリア出来るゲーム→
MMORPGなどの従来のRPGに対人と課金が入ったゲーム→
それらを簡略化させたソーシャルゲーム
という風に時系列順に見てみると徐々に進化(退化?)してるので、あれも一応ゲームだと思います。ソーシャルゲーム自体は、難しくなりすぎて需要が先細りになったtvゲームの一つの答えになってると思うんですが、そこに課金が入ったから駄目になった感じがしますね。