スーパーマリオランの★1レビューにこじつけて、学生や若いゲーマーが不当にけなされていると思う
「★1レビューがつくのは、任天堂の責任である」という話は、スーパマリオランのレビュー記事で書いた。
これに関して、任天堂には同情の余地はない。2012年に、ソーシャルゲームの出現によって現れた新しい価値観という記事を書いたとき、すでに体験課金を周知せずにリリースすることは問題となっていた。
2012年に問題化した事件を、今さらなぞったのは任天堂の勉強不足である。
DeNAと提携し、スマホのノウハウを教えてもらうのではなかったのだろうか。それとも、DeNAにそんなノウハウはなかったのか。
それを明確に語ったが、ネットにはびこるもう1つの誤解を解いておきたい。
それは、「若いゲーマーは物に対して対価を払う気持ちがない」という誤解だ。
現在、ネットで下記のような言説を見る。
・ゲームは無料であるという認識が若い人たちにある。
・誰かが時間をかけたものに、対価を払わないのが当然と思うのはおかしい。
が、自分の肌感覚で言えば、これは違う。
私は仕事で多くの学生(3桁の大学・高校生と直接会っている)と接しているが、彼らと話していると「ゲームが無料であるべき」とは思っている子などいない。
彼らはお小遣いが入ればガチャを引くし、欲しいゲームを買うこともある。基本無料ゲームについて、無課金でどこまで遊べるか試しているプレイヤーもいるが、メインとなるゲームには金を払っていることも多い。
2012年の記事でインタビューした高校生は、「自分たちが無料で遊ぶことでゲームランキングが上がってゲームに貢献し、社会人が金を出す」ということを意識していた。
彼は単に無料で遊んでいるのではなく、「自分に出せる対価は出している」と考えていた。実際、お小遣いアプリを起動すれば、ダウンロードがお金になるわけだから、ダウンロード=貢献と考えることはおかしくない。
他にも「課金したら面白くなくなる(無課金でどこまで行けるかが楽しい)から、友達に勧めている」と語った学生だっている。
若い人たちだってゲームを無料とは思っていないし、対価だって払う。ただし、超過当競争の世の中にあって、比較の目が厳しいだけだ。
もし学生が1,200円を高いと言っていたとしても、それは多くのゲームが無料で遊べる中で、他のライバル製品の無料部分とマリオランの無料部分を比較し、「お金を出せない」と考えているだけ。
マリオランと比較して勝った「何か」に対価を払うことを選択している。
彼らは、単に合理的に「このゲームに金を払う価値があるか」を判断しているのである。
学生たちと話していると、ソーシャルゲームのやりすぎで頭が悪くなっているどころか、むしろドライなほど効率が良く、合理的で賢いと思わされることの方が多い。
むろん、若いから暴走している子もいるし、変な子だって一定数いる。
しかし、ひとくくりにして「ソーシャルゲームで育った子は対価を払わない」と言うほど、彼らの頭は悪くない。
確かに金を払わないプレイヤーだっているが、それは大人だって同じ事で、若い者だけを悪者にするのは、良くないと思う。
※最後の1行だけ、追加しました。
コメント欄に1人で大量投稿する方がいたり、全く文章を読まずにコメントしていると思われる方が増えてきたため、管理の限界を超えました。
まともなことを書いてくださった方には申し訳ありませんが、この記事のコメントを停止し、非公開とさせていただきます。