ゲームキャスト

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ゲームメディアはいかにしてパクリゲームと向き合うべきか。ゲームキャストの場合

「このゲームはパクリゲーだ、存在を許してはいけない」
「いや、問題ない」
なんて議論は、ゲームの情報を追っているとたまに見かける。


ゲームキャストでも、「何を考えてゲームを扱っているのか、パクリをどう見ているのか」という質問が最近多いので、久しぶりに現在の見解をここに書き、回答として示しておきたい。
(自分も元は超過激派ゲーマーで、年月を経て考え方が少しずつ変わっているので、たまに書いておく必要があると感じている)

この記事を書いたのは、任天堂の『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド(以下、ゼルダ)』とmiHoYoの『原神』について、ゲームシステム・アートスタイルとも似て見えることに意見を求められたことがきっかけだ。
あまりに似て見える両作品を比較し、中国ではmiHoYoに対する抗議パフォーマンスも行われたという。なお、これが『原神』。
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Twitterより

こちらが『ゼルダ』。アートスタイルはかなり似ている。まあ、アートスタイルだけなら似ている作品は他にもあるが、システム的にも(私自身は原神をプレイしていないからわからないが)似ていると言われ、一部で話題になっている。
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公式PVより

確かに似ているし、影響を受けまくっているのは間違いなさそうだ。
だが、これに対して「このパクリは許されない」と書くべきではないと私は思っている。そして、同時に「ゼルダに似ているね」と書くのが正解だと考えている。

ゲームシステムやアートスタイルを保護すると問題が発生する

ほぼ全システムが同じで、細部を変えただけ。ゲーム世界において、そういった模倣は「物まね」ではなく、原作を超える「偉大なオリジナル作」を作ることがある。
それがわかる例がある。
世界的なヒット作であり、”ランゲーム”というジャンルを作り出した『テンプルラン』と、その後に大ヒットを飛ばした『Subway Surfers』の差だ。

2011年8月にリリースされた『テンプルラン』は、走り続けるキャラクターを操作し、限界まで障害物を避け続けるアクションゲームで、端末を傾けてキャラクターを左右に動かして、上スワイプでジャンプ、下スワイプでスライディングさせ、障害物を避けるゲームとなっている。

この『テンプルラン』は一気に評判となり、2011年の12月に有料から基本無料に切り替えるとあっという間に5000万ダウンロードを記録した(当時のストア規模を考えると驚異的だ。現在はシリーズ累計で5億を超えている)。

当然、そこまで人気のゲームができるとたくさんの模倣ゲームが生まれた。粗悪なコピー品もあったが、地形に起伏をつけたり、バトル要素を加えたり、変化系がたくさん登場した。


そして、ついに2012年5月、模倣作の中から『テンプルラン』を上回るヒットゲーム『Subway Surfers』が登場する。
このゲームは『テンプルラン』に地形の起伏を加えた変化系アプリの一種だが、左右移動が傾けではなくスワイプ操作になっていた。雑に言えば、模倣作の左右移動操作を変更したもの、と言える。だが、その変化は決定的に大きかった。

本体を傾けて移動する操作が不正確なのに対して、スワイプでレーン間を移動する仕組みで操作の正確性が上がり、視覚的にも避けるべき障害物が明確になり、一気にゲームが遊びやすくなったのだ。
今となっては当たり前の操作だが、当時Touch Arcadeなど多くのメディアがスワイプ操作をほめたたえており、「スワイプ操作にする」が革命的だったのは明らかだ。
そして、『Subway Surfer』は最終的に18億ダウンロードされ、史上最もダウンロードされたアプリにまで成長した。
   

基本となる左右の傾け操作を、スワイプ操作にするだけ。その発明で、ゲームは大きく変わった。
ゲームシステムがほぼ同じであることをもって「これに似たゲームを創ってはいけない」と保護していたら、『Subway Surfers』は生まれなかったはずだ。

もっと例を挙げるなら、剥き出しのルールで戦うカードゲームは小さな違いの差がわかりやすい。
多くの方が知っている『大富豪』だって、ダイヤ・ハート・クラブ・スペードのほかに1つオリジナルのスートを作って各数字のカードが1枚ずつ多くなったら……革命がおこりやすくなり、プレイの戦術は全く変わってしまうことは容易に想像できるだろう。

さらに、『大富豪』の基本ルールにインフレ要素を足した『トゥーアンリミテッド』なんてゲーム(もはや別物)もあり、少しの足し引きで違うゲームが誕生する。これらは変化であり、単なるパクリではない。
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▲『トゥーアンリミテッド』公式より


少しの変化が異なるゲームを生み出し、その連鎖が新規の面白いゲームを生む。
だから、ゲームシステムを過度に保護したら、新しいゲームが生まれる余地を奪ってしまう。
最初に戻ると、『原神』は『ゼルダ』に確かに似ている。しかし、1つシステムが違えば別のゲームになるかもしれない。
『原神』でなくとも、将来は『ゼルダ』に何かを加えてプレイの戦術を大きく変えるものが将来出ることだろう。
しかし、その少しの差を発売前に判断できるだろうか。そして、それを判断して発売前に「似ているから」と弾劾できるだろうか。

とくに『原神』はスマホにも出るから、基本無料である可能性も大きい。
だとしたら、成長やプレイテンポは別ものになるはずで、それが異なるゲームを生むかもしれない。
そう考えると「これはパクリであるから、ダメだ」とは軽々しく言えない。

同じように、アートスタイルにしても特定の画風に権利を与えてしまったら芸術が発展しなくなることは容易に想像できるはずだ。
ピカソなどがよみがえって、「キュビスムの創始者は私だから、このアートスタイルは私以外禁止だ」と特定の表現方法、技法の権利を主張し、認められたらどうなるだろうか。多くの画家が困るし、のちの発展形も生まれなくなってしまう。
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▲ピカソのゲルニカ。

『ゼルダ』のアートスタイルも同様に保護されない。だから、『原神』が同じアートスタイルで、似たゲームシステムでも止めることはできない。
「ゲームシステムとアートスタイルが似ていて良くない」と書くことは、ゲームの発展を阻害することとなるからだ。
ただ、これは「出してはいけない」「システムが保護されるべき」などと言うのが良くないという話で、「〇〇の会社規模で物まねに見えるのはかっこ悪い」と疑問を呈したり、言ったりする自由は当然ある。
このあたりは個人の価値観に基づいて言えばいいと思う。

もちろん、マリオなどのキャラクターは創作物として保護されるし、何かしらの違法なデータを利用していたら話は別だ。そこは法律違反で、法廷で戦うべきだろう。

原作者にお金が手に入らないとき、模倣作がオリジナルと思われるときが問題

先ほど「作品に対して疑問を呈するのは自由」と書いた。
では、どのようなときに疑問を呈するのか……その基準は人の自由だと思っている。だが、ここではゲームキャストの基準を書いておく。

私が「まずい」と思うときは、作者に収益が入らなくなったり、原作がオリジナルと認められなくったりする可能性があるときだ。
オリジナル作品を作るには、気力・資金などのパワーが必要となる。すぐれた作品を作った作者には、最低でも次回作を作れる程度には儲けてもらわないといけない。
だから、何かしら儲ける前にその可能性を奪い去ってしまうと考えたときは、インディーゲームについては思い切ったことも書くことにしている。

インディーゲームは資本・宣伝力がないため、模倣作がヒットすると大きな影響を受ける。
模倣作の方が知名度が高くなって本家が「パクリ」と言われてしまうこともあるし、発売から短期間で模倣が行われたときは本家の売れ行きにも落ち込んでしまう。

任天堂やセガなどの大手は宣伝もしているし、ゲームも十分有名だからそういった心配は少ない。『ゼルダ』の元祖が『原神』であると思われることもないだろう。
だが、インディーについてはそうもいかないから、見つけたら警鐘を鳴らすべきと思っている。

『Threes!』と『2048』のとき

具体例を挙げてみよう。
かつて、『Threes!』というパズルゲームと、『2048』というパズルゲームの類似性が騒がれたことがある。ところが、この2つのゲームはよく見れば明らかに別物だ。
どちらも、4×4マスの中で数字パネルを動かし、同じ数字のパネル同士をくっつけて数字を足し合わせ、より大きな数を作っていく基本ルールは同じ。だが、似ていてもゲームとしては明確に別物なのだ。

『Threes!』は、スワイプするたびに画面の全パネルが1マスずつ同じ方向に動き、同じ数字パネルとぶつかったものは合算される。ただし、例外的に1と2のパネルは3になるようにしか合算できない。


『2048』はスワイプするたびに画面の全パネルが壁かパネルにぶつかるまで同じ方向に動き、同じ数字パネルとぶつかったものは合算される。『Threes!』とは移動方法が異なるから、パズルとしての戦術は大きく変わる。扱いが特殊な1と2のパネルがないから、難易度はかなり低い。


この差によって、『Threes!』は比較的玄人向けパズルに仕上がり、『2048』はあまり考えずに動かしても多少遊べるカジュアルなものになっている。
少なくとも、『テンプルラン』と『Subway Surfers』ぐらいは離れているだろう。

明らかに違うものであったし、実際、私自身も当時「良くないパクリである」と記事を書いたとき、何人かのゲーム業界の方に「あれは別のゲームだよ」と注意を受けた。
しかし、私は当時の状況を考えて問題提起として記事を書くことにした。

『Threes!』登場から、『2048』の登場まではわずか2か月未満。
さらに、『2048』作者がソースコードを公開してしまったためかストアに模倣品があふれ、Google Playに至っては『Threes!』が出る前に模倣作がリリースされる有様で、作者も実際に声を上げており、可能性が阻害されていると考えるに十分と感じたからだ。

オリジナルに言及することはできる

とはいえ、「どこかに影響を受けすぎたゲーム」に対して、法律に違反していない限り、何もしないべきとは思っていない。
どちらかと言えば、できることは常にやりたいと思っている。その「できること」とは、「何が元作か」を書くことだと思っている。

『荒野行動』が出れば、『PUBG』が元祖であると書く。アップデート情報にも「PUBGに影響された『荒野行動』がアップデートし…」と書いてもいいかもしれない。
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▲裁判にもなった『荒野行動』と『PUBG』。現在は和解済。『PUBG』にも元があるので…まあどこまで書くかは匙加減。

もちろん、『原神』の情報が出たら『ゼルダ』にも言及する。
いざ『原神』が出てみて、あまりに『ゼルダ』の良さをつぶしていて、何も新しいところがなければPS4のゲームの記事だろうが「Switchを買ってゼルダを遊ぶべきだ」と書く。
見事に差別化されていれば「差別化された」と書けばいい。

とにかく、オリジナルについて言及し続け、ときに比較することが大事で、それを続けることが元作に利益を還元することだと思っている。

そして、読者がその記事を読み、拡散することで啓蒙が広がるはずで、ゲームキャストはそれを続けたいと思っている。
そんなわけで、これがゲームキャストの模倣ゲームに対するスタンスとなる。
私からは読者の皆さんに「元作に言及がある記事」を選んで拡散して欲しいということと、もし模倣作に関する記事を書いていて元作を知らない状況であればそのときは教えて欲しいとお願いして、この記事の締めとしておく。