マイ・『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』。もしくは『ALWAYS ドラクエの夕日』を見て
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- 2019年08月09日
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最初、『ドラゴンクエスト』(以下、ドラクエ)が映画化すると聞いて「正気か!?」と思った。
『ドラクエ』、それも『ドラゴンクエストV 天空の花嫁(以下、DQV)』は映画化と相性が悪いからだ。
もともと『ドラクエ』は主人公などのキャラクター性が薄く、プレイヤーの想像にゆだねられている部分が大きいRPGだ。そこに性格付けしてボイスを入れるだけで「こんなの俺の××じゃない」と、想像と映画での解釈の差で苦しむものとなる。
この記事では、私がそんな映画をどう思って見たのか、どこに意義を見出したのか、ということを書いていきたい。
数ある『ドラクエ』のなかでも、『DQV』を映画化するとなると狂気の沙汰としか思えない。
『DQV』には結婚相手を決めるイベントがあり、その選択で展開が変わる。ビアンカ派とフローラ派がいて、そのどちらも納得できる過程と結末を見せねばならない。キャラクターにもこだわりがあるから、より繊細に描かないといけないし、そこに時間をかけないといけないだろう。
1本で終わる映画で、究極の選択を繊細に描いて、まとめることが可能だろうか。
しかも、一方と結婚して物語が続けば、残された相手を選んだプレイヤーの物語でもなくなる。
私はビアンカと結婚して魔王を倒してめでたしで終わる映画なら、楽しめても納得はできない(ビアンカ派の方でもフローラとしか結婚しない映画だと納得できない方もいるだろう)。
とすると、花嫁を決定する直前で映画が終わるか、エンディングが2パターンあって視聴時間によってフローラエンドとビアンカエンドで終わるものか、と考えた。
そこまで考えて映画のタイトルを見ると、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』(以下、DQY)。
なるほど。つまり、ゲームを買った少年など「誰かの物語(ユアストーリー)」として描くのであれば、「その人がビアンカを選んだから」みたいな言い訳が効く。
メタ構造を取り入れた話にならば、何とかなるだろう、ということだ。誰が考えたかわからないが、頭がいい。
がぜん、見るのが楽しみになってきた……のだが、流れてくる映画の評判は予想より悪かった。初日は賛否両論だったが、Twitterではエライ悪評ばかりが聞こえてくるようになった。
私は内容について語って楽しむのは見た人の権利で、ネタバレは自衛すべきと考えている。よってSNSを抑え気味に使っていた(当然、この記事も感想文だからこの後で怒涛のネタバレが入る)のだが……それでも「メタ構造があったんだな」「オチが評判悪いらしい」などの情報はガンガン入ってきた。
とはいえ、『DQV』の映画化を決定した時点で、根本のスクエニにセンスがない(究極の上から目線)。期待度を抑えて警戒していけば、事故にもあうまい。
そう思って映画館に行ったところ、主人公の名前がリュカであると知り、思いがけずテンションが上がる。
懐かしい。リュカとは小説版『DQV』の主人公の名前だから、このゲームのプレイヤーはDQが好きであることもわかる。
(小説版は独自の良さがあってファンを獲得していた。私は特に『ドラゴンクエストIII』が好きで、今でも小説を残して持っている)
しかし、その先はきつかった。
映画を見るとき、私が最初にやるのはその映画の楽しみ方をとらえる調整作業を行う。
ギャグ映画だとわかれば、感覚をそこに調整し、キャラがいつ死んで復活しても「あり」と、楽しめる。
最初に現実的だと感じれば、人の死を重く受け入れたりする準備が整う。が、この調整がぜんぜん上手くいかなかった。
最初にドット絵で描かれるシーン始まり、ちょっと記憶と違って混乱する。
CGはかなり好みだったが、初期はシリアスなのに音楽の使い方に映画としてのリアリティを感じられず、幼少期が終わると今度はギャグ映画レベルに物分かりが良い主人公に困惑する。楽しみ方が定まらなくて、本当につらかった。

▲メタルスライムの描写はすごく良かったけど。
細かい設定で言うと「これは怒る人いるだろうな」という状況も続き、「細かい部分を再現する気は一切ない」と諦めるに至った。
この期間は、映像的な面白さをのぞいて“無”だったのだが、結婚イベントシーンで一気に幼い頃の思い出がよみがえったとき、やっと楽しみ方が定まった。
結婚イベントは文句なく良かった。“私”を、“僕”だった時代に一気に引き戻す力を持っていた。
僕は何度もプレイした『DQV』人生で、フローラとしか結婚したことがない。それほどフローラに思い入れがある。
結婚イベントのとき、ゲームに入れ込みすぎた僕は誰とも結婚したくないと思っていた。
ビアンカは病弱なダンカンおじさんの介護をしないといけないから、冒険に連れ出したらダンカンおじさんが亡くなってしまうかもしれない。それは嫌だ。
一方、フローラは箱入り娘で冒険など絶対にできないだろうし、ルドマン家の跡取りをそんな危険にさらすのは良くない。
だから、ゲマを倒した後に結婚するような選択肢が欲しくて、それが選べなくてがっかりしていた。
そう思っていたけども、いざフローラと冒険してみると戦えなくても(レベルが低くても)“ベホイミ”で役立ってくれる。旅についていけるという彼女の主張は、根拠のないものではなかった。
そこで「きみは、しっかりものなんだね」と思えて、「ごめん」と心の中で謝った。
冒険を通じて、箱入りだけど背伸びして親に少し反抗する健気さがあって、実はしっかりもので……というフローラ像ができて、フローラ抜きの『DQV』などありえない、と思えるまでになっていた。
『DQY』でのフローラは、そういった理想像を多少は具現化してくれていた。
とくに主人公が初めてフローラと触れ合って浮かれ(という演出で)、フローラが好きなのかと勘違いしてしまっている様子を察知して、自ら身を引くシーンなど最高。
「なんでビアンカ選ばなかったの?」と聞かれたら、「そりゃ、フローラがかわいくて健気で、思いやりがあるところに惹かれたからさ」と胸を張って答えたくなる良さがある。これだけで映画の存在を肯定できる。

その後、主人公はビアンカを選び、ここでやっと映画の楽しみ方が定まった。
振り返ってみると、クラスの仲間はビアンカを選んだし、後の世になるとTV番組ですら「ビアンカを選んで当然」みたいな空気を出していた気がする。販促物でもビアンカと結婚する前提でイラストが描かれていたりした。
それに対して僕は疎外感を覚えていて、映画でもビアンカと結婚した後の物語は一歩引いてみるようになってしまった。

▲さんざんフローラを推しているけど、僕自身ビアンカが嫌いなわけじゃない。あと、映画版ビアンカも魅力的。というか、結婚のあたりの流れは100点。
ビアンカと結婚後の映画は一連の流れとして映画を追うよりも、各シーンの中から良いところをピックアップして、自分の記憶にひたるものとなった。
文句なしに良かったのは、悪役であるゲマの描き方だろうか。CGの気持ち悪さもいいし、だんだんとあくどさと力が積み重ねられていく描写も、声も良かった。これほど憎く描写されているゲマが見られてよかった。こいつがラスボスであったらどれほど良かったことか。

妖精の砂のシーンは好きだし、息子が助けてくれるシーンもよかった。プレイヤーが勇者ではないという驚きも追体験できたと思う。
アルスという名前、そしてラスボスのデザインに『ドラゴンクエスト ロトの紋章』を思い出し、『月刊少年ガンガン』を買っていたことから『電撃ドクターモアイくん』まで、ドラクエと関係ない周辺のことまで思い出していた。
すべてが懐かしい。
そして、期待していたよりも映画も盛り上がり始めて楽しくなってきた……そういったところで問題のラストシーンが訪れる。
そのラストは最悪だらけだった。
伏線が有効に機能していなくて唐突すぎたし、突然しゃべり始めるスライムも最低最悪だし、主人公の剣が届かずにアンチウィルスソフトがラスボスを倒すのも嫌だし、「実はVRゲームでした」というオチは許されても、そのほかは本当に良くなかった。

あ、「2周目はフローラ」という感じのプレイヤーがフローラに拒絶される仕掛けは好きというか、ビアンカと結婚して魔王を倒してハッピーエンドになったら「いつものビアンカ優遇だった」で終わってしまうので(意地が悪いことに)僕にとっては重要なのだが、「これは、フローラ原理主義の人間以外が気持ちよく受け入れられるのか!?」と思ってしまった。
しかし、それでも「ゲームなんて虚無だ」とラスボスが語り、主人公が反論した瞬間、僕は懐かしくて涙が出て、すべてを許した。
思えば昔、ゲームにハマっているときほど母・祖母が似たようなことを言っていて、僕は「そんなことない!」と言い返していた。その記憶が瞬時によみがえった。
初代『ドラゴンクエスト』が初めてハマったゲームで、久美沙織さんの小説で細かい字を読むようになったのを思い出し、敵の消え方でアニメ版『ドラクエ』である『アベルの伝説』の面影を見て、終盤に『ロトの紋章』を思い出し……エンディングでは完全にゲームを遊んでいた昔に戻れた。
最後の問答はあまりにも古臭い。けど、こんな古臭い問答があって、今の自分がある。懐かしさがあふれまくってしまった。
過去にゲームがバカにされまくっていたこと、今の時代にこんなことを言うやつがいたら「馬鹿じゃないか」と一蹴される時代の変化を思い、あらためて「良かった」と思った。
おそらく、この作品を監修した堀井雄二さんも、そういった感慨の元にこの脚本を許可したのではないだろうか。
同時に、ゲーム老人に向けたオチを作ったところで「堀井さんもそれを許す時期か、お疲れさま」とも思い、映画を見ている間に『ドラクエ』プレイヤーであった僕の人生の総括が終わった。この映画は、『ドラクエ』プレイヤーであった僕と向き合う時間をつくってくれるものだった。
そして、次に今と未来のことを考えさせてくれた。
今、「ゲームをやっても意味ない」という説の無力さをみんな知っている。今ゲームを遊んでいない大人だって、過去に『ドラクエ』や『ポケモン』にハマったことを無意味だったと思う人は少ないだろう。
ところが、現実にはいまだ似たような会話が繰り返されている。
ゲーム体験には意味がある。しかし、例えば「オンラインゲーム・ガチャに課金する意味なんてあるの?」などの言葉が今でも話題になる。我々は体験に意味があることを認めたはずなのに、新しいものを受け入れられず同じことを繰り返すのだ。
そして、VRゲームが普及しているであろう『DQY』の世界においても、「VRゲームやるなんて現実逃避でしかない」と言いに来るアホがいる。
おそらく監督も堀井さんも、ここまで考えていないだろうと思うが、ゲーム体験の受容について不寛容になっていないか……僕は、そんな問いかけをされている気もした。
『DQY』が映画が決して優秀でないことは、わかる。
細かい設定の取りこぼし、音楽の使い方、スライムの使い方、エンディング部分、すべてに不満点がある。僕はゲームの映画化に期待しないから許容度がとても高い方だと思っているが、そんな僕でも「ちょっと」と思うシーンが山ほどある。
この映画は広くネタを入れているが多くが浅く、映画・ゲーム本編にこだわりがあるほどつらいものになるだろう。そういった人には「地雷原を歩いて、無事なら楽しめる」ような映画だ。
ただ、この映画はすべての人にとってクソな映画ではなく、とくに40歳以上のゲームプレイヤーや、ゲームや映画から現在は離れて久しい人なら共感できる部分もあると思っている。監督の山崎貴さんの作品の名を借りて言うなら、『ALWAYS ドラクエの夕日』的な。
それを「誰もが楽しめる」かのように宣伝したスクウェア・エニックスの広報が一番いけない。
価格の暴落で話題になったゲーム『レフトアライブ』も、僕は2,000円のインディーゲームとしてなら楽しめると思っているし、好きな人もいると思う。しかし、それを『フロントミッション』新作として宣伝したら、悲惨なミスマッチを起こす。そんな宣伝のされ方をしている映画が『DQY』ではないか。
フローラ派の中でも屈折しているだろう僕と同じ楽しみ方を、誰もができると思わない。だから、他人には勧めない。
しかし、ドラクエ人生の総括から未来への問いかけまで得られた体験は僕にとっては価値があり、「もっとよくできたのでは?」といったことは別に、映画の存在価値はプラスだ。
僕自身、幼い頃を思い出せて、ゲームやそのほかの作品に対する楽しみ方が少し若返ったようにも感じている。
例えば、映画が終わって最初に始めたのは「どうしたら映画がもっと良くなるか」考えることだった。
ゲレゲレにリボンをつける、無駄に音楽を使わない、仲間になりたそうな目で見させる、ビアンカを石にした理由を語らせる、プログラムに反して行動しているであろうフローラと聖水とウィルスを関連付けられないのか、そもそもゲマを倒したら電源を切って現実に戻るようなエンドで構成しなおしていいのではないか……などなど、ファミコン時代の粗っぽいゲームを遊んだ後、自由帳に改善点を書いていた小学校の自分に戻ったかのように考えられて、楽しんでいる。

僕にとって『DQY』は、フローラをきっちり描いてくれただけで十分価値があり、そのうえでドラゴンクエストプレイヤーであった過去の自分と向き合い、その歴史を改めて思い出し、過去と現在を比較して浸りドラクエ時代を総括する機会を与えるもので、ゲーマー人生の節目となるものだった。
もし、「記憶を消せるとして、お金を払ってもう1回見ますか?」ときかれたら、『DQY』を見る選択をすることだろう。
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コメント(26)
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コメント一覧 (26)
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- 2019年08月09日 07:13
- 小説版作者は4以降が久美沙織さんで3までは高屋敷英夫さんです
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- 2019年08月09日 07:27
- ご存知かもしれませんが、「リュカ」は勝手に名前を使われた上に改変されたとして作者から訴訟を起こされてます
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- 2019年08月09日 07:35
- alwaysも原作ファンからしたら、原作の良さをぶち壊して単なる郷愁&お涙頂戴ものにしちゃったクソ映画化なんですけどね
というか、この監督の映画で原作ぶち壊してないものは存在しない
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- 2019年08月09日 07:49
- 訴訟の件は、この記事の本論とずれるので書いていません。
▼saiさん
ルビス伝とIVだけなんですね。
勘違いして書いていたので、その部分削除しました。ご指摘感謝いたします。
▼名無しさん
この方、原作をやや壊して一般向けにする感じですからね……。興行収入を得るのが上手いというか。
ゲーマーの執着度はヤバいのですんなりは絶対行かないと思っていました。というか、ドラクエVを映画化することで全体の納得を得るのは無理。
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- 2019年08月09日 08:17
- ドラクエの夕日は斜陽という意味かな
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- 2019年08月09日 08:34
- 以前のフローラの記事よりよっぽど愛を語っていて笑った
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- 2019年08月09日 08:57
- >次の瞬間、私は事故!
とかもう少し推敲して欲しいなあという記事ですが、だいたいの主張はよくわかりました。
映画という娯楽もゲームと同じく「時間とお金を払って何が残るの」とか批難されてもおかしくないはずです。
しかし趣味映画鑑賞は履歴書に書けるのに、趣味ゲームプレイと書く方はそう多くないように見受けられます。
eスポーツ等があってもゲーマーへの偏見が強い今の世の中ではまだゲーマー自身が肩身の狭い思いをした体験が「ノスタルジー」(この記事でいうところの「夕日」)たりえず生々しい傷をえぐっているのではないでしょうか。映画という媒体でゲームをdisしてるとまでは言いたくありませんがそう受け止めてしまう方もいらっしゃるでしょう。
全ての娯楽は等しく体験に価値があると言える世の中になって、いつかあんな映画で議論したのが懐かしいと言えるくらいになったらいいですね。
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- 2019年08月09日 09:12
- DQ5はシリーズの中でも屈指の人気作なので反発はあるでしょうね。壮大なメッセージを付けられたことで安っぽくなったという感じは否めません。早い話DQ5ではなく完全新作なら良かった
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- 2019年08月09日 09:25
- フローラへの愛が感じられてよかった。
映画でフローラと主人公が結婚したら、確かにビアンカが当たり前と思っている自分は納得いかなかったと思う。
そう思うとフローラに日陰を押し付けてからフォローするあの設定を肯定するのは理解できる。
とても興味深い記事だった。
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- 2019年08月09日 10:19
- 自分はまぁ途中は別に良かったんだけどメタ落ちは許せなかったな
そんなのドラクエで(しかも原作ゲームがあるのに)やる意味が無いし、そこまでしてねじ込んだオリジナル要素は今更感の溢れるものだった
実際いわゆる0年代の流行だよねメタ構造って
自分は逆にゲーム文化を舐めてるからこういうものが作れるんだなと感じた
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- 2019年08月09日 10:27
- トイストーリー4(映画)とかドラクエ5(映画)とかSO3(ゲームシナリオ)は、オチとか舞台設定でこれまでのシリーズ作品の世界観壊すから嫌い。
ドラクエ5がこれなら、他のナンバリングも結局VRかよ、みたいな雰囲気になる。
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- 2019年08月09日 10:30
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同じところで泣けたので仲間がいてよかった。
あ、でもビアンカ派です(^o^)
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- 2019年08月09日 11:38
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思い出の中のドラクエが素晴らしいという話ですね。
ネットのどこかで誰かが作った総集編を見ても同じ気持ちになれそう。
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- 2019年08月09日 14:48
- タイトルにネタバレくらい付けようよと
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- 2019年08月09日 14:49
- 面倒だから抑え気味に書きましたけど、僕はこの映画に関してフローラが公式できっちり扱われている唯一の映画ってだけで最高なんですよ。
映画ではビアンカと主人公は結婚するけど、それはその人の好みによるもので、2周目だからってフローラを選ぶような奴はフローラに振られる。
可愛く描かれていて、ビアンカとフローラが対等なヒロインとして扱われている唯一の作品なので、この映画の代替はない。
それを描くためにメタ構造はありだし、「ドラクエで想像される豪華な、近代的な、理屈の整った映画」ではなく、「凸凹だけど見ようによってはいい映画」として考えれば存在自体がどう考えてもプラス。
もっと丁寧に描いてほしいとは思ったけど、良いか悪いかで言ったら僕は良いと思う。しかもこの映画でなければいけない理由もある。
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- 2019年08月09日 15:36
- そりゃフローラは何も凌辱されず綺麗な思い出として残ったのかもしれないけど、ラストで他のキャラにあんな仕打ちをしちゃ駄目ですよ
ラピュタの最後でムスカを倒したと思ったらシータの姿が単なる線とインクに変わっていったような暴挙
フローラは無事でよかったですね
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- 2019年08月09日 15:42
- 別に、ポリゴンに戻ってもいいでしょうというのが僕の考えですね。
ゲーマーは長い時間をかけて「ゲームは作りもの、でもその体験に意味はあり、そこが現実だろうが非現実だろうが意味はない」と学んだはず。
ただ、この映画はそこまでの伏線の張り方が雑すぎてがっかりですけど。
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- 2019年08月09日 20:11
- 「はいカーット!
お芝居お疲れ様!
みんなが見てた映画は作り物ですよ
映画なんて時間の無駄ですよw」
ってオチの映画があったらこの監督怒るのかな?
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- 2019年08月09日 21:03
- >「ゲームは作りもの、でもその体験に意味はあり、そこが現実だろうが非現実だろうが意味はない」
制作者のこういうテーマ性がすごく押しつけがましい映画だったということ。
オチをああしたせいで、視聴者=リュカじゃなくて視聴者=作品の中の少年=リュカみたいな焦点のぼかしかたをした。
映画の中の2時間は結局、他人が遊んでいるドラクエ5を隣で見せられていたような気になる。そんな状態で体験がどうのこうの言われても感情移入なんてできない。
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- 2019年08月10日 01:47
- ゲーム映画に限らず創作物にプライドのある人間だったら
某ロボットアニメの監督ぐらいよっぽど追い込まれなきゃまず出せないオチだろうけど
それゆえにどんな原作でも受け入れる消費作家としては優秀なんだろうな
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- 2019年08月10日 04:07
- オチがわかると、こんなのに1800円も使ってしまったのかって絶望しそう
スマホゲーなんて100円でもシビアなのに。。
ところで、ゲーム関連のお仕事をされてる方の「映画関係者によるツイート炎上」への反応を自分は見かけてないんですが、ゲーキャスさんはどう捉えられましたか?
映画のスタンスそのものに関わってきそうな件だったので、ぜひお伺いしたいです
なんなら、木村さんやテッケンさんを巻き込んで……ってリスキーかな?
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- 2019年08月10日 11:04
- 散々言われてるけど
>しかし、それでも「ゲームなんて虚無だ」とラスボスが語り、主人公が反論した瞬間、僕は懐かしくて涙が出て、すべてを許した
ここが刺さる感性が信じられない
せいぜい「うわあ DQNにいじめられてたイヤな記憶思い出しちゃった 最悪 ってかこの監督メンタルがDQNっぽいよな」ってなる程度では
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- 2019年08月10日 12:20
- 今の時代ゲームは凄く普及したけど決して認められて市民権を得た訳じゃ無い
いい歳した大人がゲームかよという偏見は根強いし、ゲームなんて何の意味がると何度言われてきた事か
この監督はわざわざ一定の地位を持つ映画という媒体で「君達はいい歳してゲームで遊ぶ自分を肯定して良いんだよ」と発信してくれた
全くありがたくて涙が出るね
「君達不細工もかけがえのない人間だから自分を卑下しなくて良いんだよ」とイケメンに言って貰えた様な気持ちになれたよ
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- 2019年08月10日 18:53
- 今日見ました。
色々な改変や設定変更などは別に気になりませんでしたね。
そもそも2時間でまとまる内容では無いわけですし
むしろ良くまとめた方ではないかな、と感じました。
例の爆弾ですが、なんていうんですかね。
特上のウナギ食ってるところに店長が
ウナギ屋なんですけど、本当はパティシエになりたかったんですよ
このショートケーキ食べてくださいってウナギ食ってる口に
クッソ甘くてマズイショートケーキぶち込まれた感じですかね・・・。
エンディングは一見綺麗に終わらせた感がありますが
ちゃんと舞台設定を見せずに冷や水ぶっ掛けるみたいに
あれをみせられてしまっては
あのラスボスが製作側自身の本音では?と穿って見てしまいますね。
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- 2019年08月10日 21:43
- ドラクエに対して思い入れもない監督が作ってるのがちょっとね。それが炎上の理由じゃないかな
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- 2019年08月10日 23:14
- 問題発言はCGスタッフがいったことですよね。
物語に関係ないCGスタッフの発言でケチがついて、可愛いそうだなぁ……と思っています。
オチに関して言うと「できない」と断り続けて、過去の映画を見ても同じようなことをやりそうな人に頼んだスクエニがいけないのでは……と思っていたりします。
おそらく、監督にそういった本音があるのではないかと思うし、それはおそらくゲームが賤業扱いされていた堀井さんもそういった年代ですし、だからこそこの台本が通ったんでしょうね。
色々な意味で、時代の終わりと変化を感じました。
ただ、この映画を「ドラクエ体験を振り返る装置」として楽しむことは可能だと思うし、そうやって楽しんだ体験まで異常扱いする人が同じドラクエ好きにいるのは悲しいですね。
クソゲーかどうかはプレイした人が決めることで、ある人が楽しめたクソゲーは、その人にとってクソゲーではないと、ゲーマーなら知っていると思うので。



