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祝!移植、MODEL2 COLLECTIONな思い出:iPhoneゲーマーな日々4

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昨日、セガから『MODEL2 COLLECTION』が発表された。
オールドゲーマー(もう、この時期のゲームはオールドゲームだろう…)感涙の5本のゲームがPS3とXBOX360にが帰ってくる!
4回目にしていきなり iPhone ゲームの話ではなくなるのだが、深夜のテンションで思い出話を書いて行きたい。 MODEL2というのは当時最先端のゲーム用基盤(ゲームセンター用のゲーム機)で、当時は家にあるゲーム機よりゲームセンターのゲームの方が数段上のゲームがプレイできた。
PS2あたりからその事情が変わってくるのだが、このMODEL2のゲームが出た時代はそれこそ「ゲームセンターに行かないとプレイできないすげぇもの」だった。
動画で見ると今となっては確かにショボイし、実際に性能ではiPhone3GSにすら負けているかもしれない。


だが、当時はゲームセンターにゲームの未来が詰まっていた。
「ゲーム機の性能が上がればこんなことができる!」の見本市で、その中でも特にすごかったのが『バーチャファイター2』『バーチャストライカー』『電脳戦機バーチャロン』の3本だと思う。

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『バーチャファイター2』は3D格闘ゲーム時代を本格的に呼び込んだのはこのゲームと言っても過言ではない。
「セガサターンに移植されたとき、サターンの台数よりもソフトが売れた」などと本当か嘘かわからない伝説が残るほどの大ヒットだった。
当時ライバルだったソニーが、その売れっぷりに驚いて1年以上先に発売予定だったFF7を数億円規模で宣伝して対抗した(と言われる)というぐらいのキラーソフト。
この時期は「鉄拳?ああそんなのもあるね」ぐらいだったのに、どこで差がついたのか…。

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1990年代は「次はどのゲームを3Dにするのか?」を各社が競った時代だったように思う。
うまく3D化されたゲームは見た目の珍しさもあって大ヒットを記録したが、反面3Dにしたことで微妙になってしまうゲームもあとをたたなかった。
そんな中でセガが満を持して送り出した『バーチャストライカー』は世界初の3Dサッカーゲーム。
それまで2Dだけだったゲームが突然3Dになったのは大きな衝撃だったが、初の3Dサッカーにしてゲームとしてビジュアルやプレイ感覚はすでに現在に通じるほど完成されていた。
おそらく、今のサッカーゲームでこれの影響を受けていないサッカーゲームはないだろう。

いわゆるハメ技が存在し、高校生だった自分は負けてプレイが終わるのが嫌だったので多用していた。
そのため、台パン(ゲームでイライラして筺体を叩くこと)どころかトラブルが絶えなかったのもいい思い出だ。
今回初の移植ということで、ゲーム史を体験する上でもこの移植は意味がある。

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電脳戦機バーチャロン』は対戦バトルゲームの新しい地平を築いた驚きのゲームだった。
当時はすでに3D格闘ゲームが大量にあったが、見た目は3D・ゲーム2Dで、3Dゲームである意味は主にビジュアルだった。
が、このゲームでは左右前後、果ては空中までフルに3D空間を移動して戦うことが求められた。
また、3Dのロボット対戦もの自体は『バトルテック』などですでに実現していたが、超高速で行われる完成度の高い対戦ゲームというのはこのゲームが初だったように思う。
それまでのものは3Dでロボットを動かせる気分に浸るところが大きく、このゲームを見たときは「おお、ついに未来がきた!」と思わされたものだ。

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そしてコインを入れたときが運の尽きで、ゲームと縁が切れない生活の始まりだった。
あれよという間にゲーセン友達ができ、高校生だった自分は初めてゲームの大会に出場し、順調にアーケードゲーマーになってしまった。
ゲームの待ち時間に他のゲームに手を出し、大学生となると同時に「バーチャロンをしたいから」という理由でバーチャロンのあるゲーセンでアルバイトを始めた。

自分は昔からゲームが大好きで、幼稚園でドラクエにはまって「将来エニクスにはいってドラクエを作る!」と言ったり、お絵かきで動物を書けと言われてスライムを描いて怒られる子供だった。
小学校を出るときは『FF5』と『ロマサガ1』に大概にはまって「将来はスクウェアにはいってFF5を作る!」といっていた気がする(まさか、その2つの会社が合併してスクウェア・エニックスになるとは当時まったく思っていなかった)。

しかし、自分がゲーマーになったのがいつか、と言われると間違い無く1995年『電脳戦機バーチャロン』がリリースされたときだろう。
最もプレイ時間を費やし、金を費やしたゲームだと思う(多分、20万はつぎ込んでいるかと思う)し、その後の生活にも影響を与えた。
そして、お約束だけども「将来はセガにはいってゲームを作るぜ!」と言い始めていた(笑)。

対戦相手がほしいために弟をゲームセンターに呼び込み、無理やりプレイしてハマらせたので弟の人生にも影響を及ぼしたといえるだろう。
なお、最終的には弟が強くなりすぎてまったく勝てなくなったのでこのゲームをやめた。
後に弟が続編の『バーチャロン オラトリオ・タングラム』で頭角を現して最強プレイヤーの1人と呼ばれ、さらに『バーチャロン 4th』ではバランス調整のスタッフとして参加するにいたって「才能が違ったんだな」と納得したのだが、当時は「弟に絶対勝てない」というのがキツかった(笑)

気づいていたら思い出語りばかりになってしまったが、毎日ゲームばかりしていると、ときにはiPhoneでゲームしない日もある…ということで。
当時のゲームセンターの最先端であり、ゲーム史に燦然と輝くMODEL2のゲームが移植されるので、興味のある方は是非どうぞ。

公式サイト:
MODEL2 COLLECTION公式